仏事掲載記事全文


寺院の新たな供養システム

 

「行き場のない遺骨」を引き取り合祀墓に埋葬し、戒名も授与するシステム

 

日蓮宗大法寺

 

日蓮宗大法寺では、平成18年に合祀墓を建立したことをきっかけに、葬儀も行える永代供養納骨堂など、さまざまな供養のかたちに対応できるよう施設を充実させている。平成19年にはNPO法人道しるべの会を設立し、成年後見から埋葬の支援まで、人間が老いてから死後までを一貫してトータルにサポートする活動も開始した。こうした活動の中、昨年末からは主に葬儀社を対象に、「行き場のない遺骨」を引き取って大法寺の合祀墓に埋葬し、さらに希望者には戒名も授与するシステムを整えた。「直葬は命の繋がりの感覚を尊ぶ日本人の感性を否定するものであるという」栗原啓允住職は、こうした活動を「直葬に対するアンチテーゼ」と位置づけている。経済的な理由など、「心ならずも直葬になってしまった人に少しでも宗教的な光を当てたい」という思いが、活動を根本の部分で支えている。

 

 

1. 大法寺の概要

 

高岡大法寺の通称で知られる富山県高岡市の日蓮宗大法寺は、1453年開創の古刹である。檀家数約800軒、境内墓地にはおよそ500基の墓石が並ぶが、そのほかにも、永代供養納骨堂「瑞光会館」、集合墓所「慧明」、合祀墓所「寂照」なども備えている。

第三十一世栗原啓允住職は、継承者不在の問題など、「昨今の日本の社会構造に伴う変化に柔軟に対応するというためにこうした施設を整備した」と言う。合祀墓建立の目的についても、「私個人的には決して良い風潮だとは考えないがお寺の住職としての立場から檀家の様子を見ていていると、これまでのようにお墓を建てる必要がない、もしくは承継できないという檀家が現れ始めた。継承者もおらず、自分一代で絶えてしまうという人にお墓が必要かどうか。それに代わるようなものを用意しなければならないのではないかと考えた」と語っている。

 

NPO法人道しるべの会の設立経緯

 

ところが合祀墓「寂照」を建立し、ホームページに掲載してみると、想像以上に反響が寄せられ、地元のNHKなどでも取り上げられるほど話題となった。

栗原住職は「この地域は、大きな家を建てて大きな仏壇を買って、お墓を建ててという土地柄なので、それまでは合祀墓だけでなくそうした発想そのものもなかったためだろう」としているが、そのうちに「お金がなくて、遺骨の持って行き場がないので埋葬してもらえないか」というような、本来であればお寺に関係のない、檀家ではない人々も大法寺を訪ねて来るようになった。その中で、ある成年後見人から「後見人として面倒を見てきた人々の葬儀や納骨」の相談を受けたことが、後のNPO法人の設立へとつながったという。

「高齢者の中には、認知障害などもあって詐欺被害に遭い、借金まで背負わされているという人がたくさんいる。成年後見人は、裁判所命令で法定後見としてそういう人たちの財産保全や管理を行うのが役目である。この役目は、後見人として面倒を見ていた人が亡くなったら終わることになるが、お互い人間であるから『それで終わり』というわけにはいかない。結局、お金がないのに葬式の世話まですることとなる。そして今度は遺骨が残るが、お墓もないので困って大法寺を訪れることになる。事情を聞いているうちに、問題の根はもっと深いところにあるのではないかと考えた。これはその方々が存命のうちから対応しておかなければならないと思った」と栗原住職は語っている。

檀家たちからも「当初の目的とは異なるが、行き場のない遺骨があるのならば、引き受けるのもお寺の仕事ではないか」と賛同を得て、栗原住職はこうした人々の遺骨も大法寺の合祀墓で合祀することにした。

この動きがさらに発展して、平成19年にNPO法人道しるべの会の設立となる。

成年後見を必要とする人には、葬儀の面倒まで見なければどうにもならない人も多い。だが、「人は必ず老いて病んで死ぬわけであり、死後には遺骨が残るというのがひとつの流れである」。そこで生きている間を病院、葬儀は葬儀、遺骨は遺骨と別々に区切るのではなく、NPO法人を設立し「一人の人間の命の流れに寄り添って」ひとつの流れの中で一貫してサポートしようという取り組みである。

当然、成年後見を必要とする人は財産がない人ばかりではない。弁護士や社会福祉士、司法書士や税理士とも連携して、相続の問題なども含め、人間が老いてから死後までトータルにサポートするシステムを作り上げた。こうして、合祀墓をきっかけに栗原住職の出会った成年後見人行政書士米山邦雄氏がNPO法人の事務局長を務め主に人々の老いてから亡くなるまでを担当し、死後のことをNPO法人の提携寺院として、栗原住職が担当することとなった。

 

2.  送骨システム

 

NPO法人の活動の中でも、昨年の暮れから特に注力しているのが、経済的な理由などから「行き場のなくなった遺骨」をNPO法人道しるべの会に送れば、大法寺で合祀墓に納骨し永代にわたって供養するという、「送骨システム」である。

その目的について、栗原住職は次のように語る。

「行き場のない遺骨であっても、かつては同じ社会を構成していた人である。社会人としての活動もして、社会の一員として生きてきた時代はも必ずあるはずで、いわば私たちの同朋である。その同朋として、私が一番許せないと感じるのは、最期が無縁死、孤独死であったが故に、その人が亡くなったという記録も残らないし、どこに埋葬されたかも分からない、つまりその方の人生が全否定されるが如き風潮ということである。

昔であれば親戚のお墓に入って法事もしてもらうということもあったが、今では遺骨の行き場がないばかりか、生きてきた記録すらなくなってしまう。

俗名と何年何月何日に亡くなった、これこれこういう人は、ここに合祀をされているということを、記録として残しておく。せめてそれくらいのことをするのが当然であり、それができない社会というのはおかしい。もし、そのような遺骨がたくさん発生しているのであればその方々をこの施設で、受け入れて故人の尊厳を保持するということである」

ただし、「万一、事件に巻き込まれた人のお骨が火焼されて送られてきたとしても知るすべもない」ため、葬儀社などを通して「行政から死者として認知されている」ものに限って埋葬許可証を確認の上受け入れているという。

 

サービスのシステム化

 

このサービスは、もともと栗原住職が大法寺として都市部の葬儀社から「行き場がない」遺骨の供養なども引き受けていたものをシステム化し、NPO法人の業務として移管したものである。NPO法人を通して依頼があったものであれば、提携寺院として大法寺が宗教的な儀礼を施して供養することになっている。

「合祀墓を建ててから葬儀社からの問い合わせも増えたが、行き場がないと言われれば対応せざるを得ない。ほとんどが東京の葬儀社や遺品整理会社からの依頼である」という。

これまでは、こうした遺骨をお寺が主体となって引き受けていたこともあって宣伝活動はほとんど行ってこなかったが、一度遺骨を送ったことのある葬儀社は、引き取り手のない遺骨があった場合にはその都度送ってくるようになった。こうした会社は複数あり、これまでに60~70霊を受け入れてきたそうだ。

ただ、このような遺骨の供養を引き受ける際には、「御供養の気持ち」も入れてもらうことにはしていたが、「入っていないものもあるし、入っていても1,000~10,000円程度」と、その額は本当に気持ちであった。そこで、NPO法人へのサービスの移管に伴い、きちんとした価格設定も行った。

「すべてを善意で行っていたとしたら、もしくは他人の善意にばかり頼っていたとしたら、その活動は絶対に長続きしない。と言って、どういう方法であれば、捨てられて行き場を失った遺骨が粗末な扱いを受けないでNPOの手を通して合祀墓に送られてくるのか、その手段が僧侶である私には分からなかった」という栗原住職は、檀家総代の古くからの友人であり、かつ首都圏で事業を行っている㈱ドゥワンコーポレーション(千葉県鎌ヶ谷市)の井手齊社長に相談し、この活動をシステム化した。

井手社長はこの価格設定について、「理念を広げていくためには、媒体として葬儀社に協力をしてもらえなければどうにもならないが、葬儀会社にとっては決して大きな利益を生む分野ではない。遺骨を箱に入れて発送する作業もあり、少しでも利益を加算できるものでなければ、現実の問題として利用はしてもらえないだろう。だから、送料などすべての手数料も含めて2万4,000円でのパックとし、葬儀社には一般の葬家に対して4万5,000~5万円の範囲内で設定していただき、差額分を葬儀社の利益としてもらうということにした」と述べている。

また、栗原住職も、「安いに越したことはないが、現実として使ってもらわなければ意味がない。そこの部分は、ある程度ビジネスのベースに乗らなければならないだろう」としている。

こうして、「もともとお金のない人のためのシステムであり、多くはないかもしれない」が、葬儀社にもある程度の手数料が入り、かつ行き場のなくなった遺骨が最終的にはNPOを通してお寺に届き、きちんと供養されるビジネスモデルが出来上がった。

葬儀社にとっては、「これで行き場のなかった遺骨が浮かばれる」という場合もあれば、「単なる営業ツールとして、例えば病院向けに活用するような場合」もあるだろう。しかし、栗原住職はそれはそれで良いのだという。

「死後の尊厳というものは絶対にあるはずである。我々の立場としては、最終的に遺骨が粗末に扱われることなく、きちんと供養して収めるべき所に収められることができればそれで良い」というわけである。

 

遺骨の保管方法

 

送骨システムのセットには、納骨用専用パッケージ、申込書、供養志納金袋が入っており、遺骨は郵パックなどを利用してNPO法人を窓口にして葬儀社より大法寺迄直接に送ることになっている。

利用申し込み書には、故人の生年月日なども書かれており、葬儀社から送られてきた書類は大法寺でファイリングして保管する。こうすることで、身寄りがない人の場合でも戒名まで付けなくても、生きてきた証が永代にわたって残るという仕組みである。

遺骨は、返却を希望されるケースも想定して届いてから7日間ほどはお堂の中に、送られてきた箱のまま安置され、その後大法寺本堂にて5日間の供養後さらに四十九日を過ぎたら遺骨を土と混ぜて、「何年か後、スペースがいっぱいになれば、いずれは完全に合祀するということになるかも知れない」が、現段階では、1霊ずつパッケージにして封印し、誰の遺骨かが分かるように表面にラベリングして納めているという。

 

3.  直葬のアンチテーゼとしての活動

 

大法寺に届いた遺骨については葬儀社、御家葬家の希望により、栗原住職は葬儀も執り行っている。

「直葬されて遺骨になってからでも、供養はきちんとしたい」と言う栗原住職は、こうした取り組みについて、「根本にあるのは、直葬が日本人の根本の感性の破壊に繋がる危機感だ」と話す。

「直葬にした後は、仏壇は持たない、法事はしない、手も合わせない。だから直葬が嫌いなのである。

高額な費用と高いお布施、戒名料の必要な従来型の葬儀と直葬のどちらかでその中間が何もないという話を聞いたが、この中間に位置する人たちは、高額の負担に耐えられないから必然的に直葬に行ってしまう。その流れを食い止めたい。直葬とこれまでの葬儀との間を、誰かが何らかの形で宗教的に埋めていかなければ、いずれは全ての葬儀が直葬になってしまうのではないか。やむを得ずそうなってしまったとしても、それに対応するのがお寺の仕事だろう。

確信的に直葬をする人は仕方がないが、お金がないばかりに心ならずも直葬になる人には質素でも宗教的儀礼を施したい。だから遺骨になってしまっていたとしても、宗教的な儀礼はきちんと施すし、故人が生きてきた証は必ず残す」

 

簡易仏壇「戒名入礼拝用本尊」と法名の授与

 

また、「送骨してしまった後に何か形に残る物が欲しい」という相談を葬儀社から受けたことから、栗原住職はこのほど、「戒名入礼拝用本尊」を創り、希望者には法名を授与し、略式ではあるが骨葬を執り行い、納骨証明書とともに送ることにした。

「戒名入礼拝用本尊」は布張りの厚紙でできており、3つにたたむことができ、これを開いて立て、お線香やろうそくを供えて手を合わせることもできるつくりになっている。中心には大法寺にある重要文化財の長谷川等伯筆の釈迦・多宝如来像が、そして左右には法名などが記されている。

「気持ちがあるけれどもお金がないからできないのであれば、そういう人たちに手を合わせる対象、きっかけを授与しましょうということ。そうすれば、直葬にはならないし、戒名が手を合わせる気持ちを表現できるようなツールとなるのであれば、できる範囲でそれを授与できるシステムを考えてみようと思った。手を合わせる気持ちがないのであれば、絶対に戒名は付けないが、直葬をせざるを得ないようなケースでは仏壇を購入する事も経済的に厳しいであろうと予想される為、簡易の仏壇を作成した。これなら戒名だけを授与されて終わりではなく、後々まできちんと供養もできるだろう」と説明している。

法名授与の証も、俗名、行年、命日を記し、法名を書いて、お寺の印を押した上で、栗原住職の花押も記すというように、大法寺の檀家と同じに扱っているが、この取り組みもシステム化し、大法寺の法人業務として行うこととした。

このシステムは、まず故人がどんな人だったのか、年齢や趣味などを書いた申し込み用紙を葬儀社から送ってもらう。次に、お寺から葬家に直接連絡を入れて、「こういう法名でよろしいですか」という確認の連絡を入れる。そして、「戒名入礼拝用本尊」に魂入れし葬儀社を経由して御葬家へ送るという手順になっている。

申し込みの段階では葬儀社を仲立ちにしてはいるが、お寺が直接、葬家の意向も聞いて授与することになっており、お布施も「葬家が自分でお気持ちを出すという気持ちが基本」ということから、代引きとなっている。

こうした活動は、栗原住職にとってあくまでも「直葬の流行に対するアンチテーゼ」という位置づけである。ただ、「戒名が各々の菩提寺からそれなりのお布施で授与されるということを否定するわけではない」としており、あくまでも「戒名を貰いたくてももらえないという層の人々を宗教的にカバーする」という点に主眼を置いていると説明している。

 

4. 今後の取り組み

 

合祀墓をきっかけに始まったこうした取り組みについて、「生きている人の中でも、自分が死んだ後、誰が葬儀をしてくれるのだろうといった不安を感じている人は大勢いるし、これからどんどん増えるはず」と栗原住職は予想する。

今後、活動が定着していけば生前から相談を受けた人を葬儀社につないでいくということも可能になるかもしれないが、「人の一生の中でも、最後の死に関わることなので、慎重にしなければならない」。NPO法人のサービスを利用しながら葬家に対しては高額な料金を請求するというような事故が起きては意味がない。そのためにも、急ぐのではなく、「信頼できるネットワークを築き上げることが重要」であるという。

「できたばかりで、試行錯誤を続けている段階ではある」が、いずれNPO法人の活動がある程度軌道に乗れば、代表は信頼の置ける、例えば著名な人などに代わってもらい、栗原住職自身は提携寺院としての宗教活動に専念していくのが筋道であろうと考えている。